ネパール大地震…なかなかすすまない復興への道です。
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【ネパール大地震】
被害拡大の裏に内政混乱、行政の停滞 貧困地区 進まぬ整備
カトマンズの避難所で夜を明かした被災者たち=28日(AP)
【カトマンズ=岩田智雄】
ネパール中部を震源とする大地震で、これほど多数の死者が出たのは、政府の災害対策が不十分だったためといえる。
同国では立憲君主制の時代から反政府武装勢力との和平をめぐり各政党が対立。
2008年の共和制移行後も新憲法が制定できないなど不安定な政情が続き、行政の停滞も目立っていた。
カトマンズ市内では、近代的な建物は無傷なケースが多いが、貧困地区の簡素な民家や歴史的建造物が多大な被害を受け、「被害の格差」が目立っている。
トリブバン大学大学院講師のプレム・ラジ・カナル氏は、
(1)かつて湖だった基盤の弱い土地に規制のないまま建物が建てられている
(2)狭い道路が多く、救援車両が通行しにくい
(3)消防車やがれきを取り除くブルドーザーが足りない
(4)人口が密集し、避難場所となる広い場所が少ない
(5)被災者のための薬品、食糧、テントなどの備えが足りない
-などの問題点を指摘する。
ネパールではかつて、王制打倒を目指す反政府武装勢力、ネパール共産党毛沢東主義派と政府軍の内戦が長く続いた。
各政党は毛派との和平の道を探ったが意見が一致せず、政権交代を繰り返した。
こうした中、ギャネンドラ国王が05年に直接統治を宣言。
反発した主要政党は王制打倒で一致し、毛派も参加した大規模デモに発展。
07年に下院が国王の全政治的権限を取り上げる暫定憲法を承認した。
08年に行われた制憲議会選挙では毛派が第一党となり、共和制への移行とともに王制は廃止された。
しかし、10年までに制定されるはずだった新憲法は、連邦制の区割りなどで意見が一致せず、制憲議会は任期切れとなった。
13年11月に改めてできた制憲議会ではネパール会議派が第一党となり、コイララ首相が就任。
1年以内の新憲法制定を約束したが果たせていない。
カナル氏は、
「政党は和平交渉や新憲法に時間をとられ、国民の安全を含む社会、経済問題をなおざりにしてきた」
と述べ、被害拡大は不安定な政治のツケであるとの見方を示した。
また、ネパールは日本やインド、中国をはじめとする各国の経済支援を受けているものの、支援国側からは予算の執行が不十分との声が聞かれる。
ある支援国の外交官は
「予算がきちんと使われているかどうか疑問が抱かれるケースもある。政治だけでなく官僚機構もしっかりしているとはいえない。インフラ整備などの支援が生かされていれば、被害はこれほど甚大にならなかったのでは」
と話している。
http://www.sankei.com/world/news/150428/wor1504280039-n1.html
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自然災害も大変だけど、政治的な問題も大きいんだろうと思います。