この写真を見よ![!!]()

現代の若者と同じような笑顔ではないか
しかし、彼らは生きる権利を奪われた…
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高岡修 (著, 編集)

あんまり緑が美しい
今日これから死にいくことすら忘れてしまいそうだ。
真青な空
ぽかんと浮かぶ白い雲
6月の知覧は
もうセミの声がして
夏を思わせる。
(枝幹二大尉 昭和20年6月6日出撃戦死 富山県 22歳)
1945年(昭和20年) アメリカ軍沖縄上陸。
追い詰められた日本陸軍は戦闘機による体当たり攻撃「特別攻撃隊」を組織。
特攻隊員として散華した若き彼らの日記や遺書を編纂。
鹿児島知覧特攻平和会館収蔵。
※新編の2刷より表紙色が変わりました。

編者:高岡修
1948年生まれ。
十代の頃より詩・俳句・小説を書き始める。
国立鹿児島工業高等専門学校電子工学科を中退。
1968年現代俳句誌「形象」に参加。前原東作・前原誠・岩尾美義に師事。詩集・句集の著作多数。他に「高岡修全詩集」、思潮社版現代詩文庫「高岡修詩集」がある。南日本文学賞、南日本出版文化賞、土井晩翠賞、現代俳句評論賞を受賞。
日本現代詩人会会員、現代俳句協会会員、鹿児島県詩人協会会長、鹿児島県現代俳句協会副会長、現代俳句誌「形象」主幹。詩誌「歴程」同人。
出版社ジャプラン経営。

知覧を訪ねます。
戦争の本、特攻隊員の本、今までどれほど読んだだろうか...
私は今まで、もしあの時代に自分が存在したなら、お国の為に命を捧げることを惜しまず、家族や恋人を守るために、絶対特攻隊に志願するだろうと思っていた。
でも、真の戦争を知らない私が、本当にそんなことを言って良いのかと疑問に感じるようになった。
あの時代の若者の精神力は、今の若者からは考えられない、見事に自立したものであった。
理不尽な死を理解し、受け入れても、やはり怖いし、逃げ出したいと思う気持ちも何度もあったはず。
でも彼らは、そんな自身の心の葛藤を、人前では絶対に見せない。
怒りや言い訳など、全てのマイナス感情に蓋をして、心の中だけで泣き叫んでいた。
そんな美しく、強固な精神力を、果たして私が持てたであろうか。
それを考えたら、「私だって志願してた」とは言えなくなった。
出撃前まで、どんな思いで三角兵舎で過ごしたのか。
どんな思いで、開聞岳に別れを告げて行ったのか。
本だけはなく、実際の場所に赴いてみたいと長年思っていたが、今夏ようやくその夢が実現し、私は知覧を訪れます。
この本は、訪れる前に、何度も何度も読んでおきたいと思う。
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おばさんが特攻隊の青年よりも若い頃は、
非効率的な自爆行為に走る狂信者だと思っていました。
しかし、自分がその年齢を越えると…
彼らの純粋な想いに涙が出ます。