金賢姫
■ 日本人「真由美」になるために
日本財団図書館より引用
金賢姫は平壌の金日成総合大学予科一年を経て平壌外語大日本語科に編入。55年2月、容貌、日本語能力、家柄などを買われて朝鮮労働党から工作員として選抜された。同年4月以降、金政治軍事大学や平壌市北里の招待所で射撃や思想などの訓練を受けた。
金賢姫は、一男二女の三人兄弟の長女、父親の金元錫=キム・ウォンソク=氏(五八)はキューバの北朝鮮大使館の三等書記官のあとソ連の大使館でも勤務し、現在アンゴラの北朝鮮貿易代表部の水産部門の代表。母は元中学教師。
金賢姫は、人民学校(小学校)のころ子役で映画に出演。中学一年だった昭和47年11月、故・張基栄副首相が「南北会談」のため北朝鮮を訪れたとき、平壌に到着した同副首相に歓迎の花束を渡したこともあるという。
この時期に韓国が捜査結果を公表したのは、ソウル五輪の参加申し込み締め切り(17日)を前に、北朝鮮を除く主な東朝諸国が参加を表明したことなどが背景になっている、とみられる。
国家安全企画部当局者は「真由美」の今後について「法によって処理する」と述べた。
金賢姫の日本語指導員
拉致された日本女性 風習や生活様式など教育
「蜂谷真由美」こと金賢姫(二五)は五十五年から約八年間にわたって北朝鮮の首都、平壌の招待所(訓練所)で、工作員としての訓練を受けていたが、その際、日本語研修の指導にあたっていたのが、北朝鮮工作員によって日本から拉致されて工作員に仕立てられた日本人女性(31)であることが金賢姫の供述で明らかになった。
それによると、金賢姫は金日成合大予科一年を経て平壌外語大日本語科に編入されたあと、朝鮮労働党から工作員として選抜され、55年4月から7年8ヵ月にわたって平壌の招待所でスパイの訓練を受けた。56年4月から58年3月までの2年間は同市内のトンボクリ招待所で日本人女性工作員と寝食を共にし、日本語や日本の風習、生活様式など、日本人になりすますための“日本人化教育”を受けていた。
この日本人女性工作作員は、日本の海岸で北朝鮮工作員にら致されて北朝鮮に渡ったあと、金正日書記から「お前に各前はない」とされ、「恩恵」(ウンヘ)という名前をつけられて“日本人化教育”の指導者に仕立てられていた。金賢姫の供述では、ほかにも日本から拉致された数人の日本人男女がいたという。
http://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/258682/nippon.zaidan.info/seikabutsu/2001/00997/contents/00231
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在日朝鮮人がいるのに何故???