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トルコ航空 - 日本人救出

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日本人の危機を助けてくれた国
 
↓↓↓
 
トルコ航空
 
 
 
Wikipedia
 
トルコ航空 イラン・イラク戦争の1985年3月12日、イラク軍によるイランの首都テヘランに対する空爆が始まった。
 
テヘランの在留外国人は空爆を避けるために国外避難を準備し始めたが、3月17日に至って、イラクのサッダーム・フセイン大統領は
「3月19日20時半以降はイランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」
 
という声明を発した。 
 
 
宣言後、イランに住む外国人についてはそれぞれが国籍を置く国の軍隊、ないしは民間航空会社を使っての脱出が計られた。
 
 
しかし、当時日本では自衛隊の海外での活動は禁止されていた。
 
 
また過去にテヘランに寄港していた日本航空は当時既にテヘランへの寄港を停止していたため、日本政府は現地との調整に手間取り、
 
日本航空チャーター機の派遣も会社・労働組合ともに反対であったこと、
 
前記期日までの脱出が困難であること
 
を理由に実現しなかった。
 
 
そのため、在イラン日本人200名以上は脱出方法が見つからずに生命の危機に瀕していた。 
 
 
イランの日本大使館の野村豊大使は、トルコ大使館のビルレル大使に窮状を訴えると大使は
 
「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。
 
トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。
 
ご恩返しをさせていただきましょうとも」
 
と答え、大使の要請を受けて2機のトルコ航空機がテヘランへ派遣された。 [9]
 
2機のトルコ航空機が215人の在留邦人を乗せてイラン国境を越えてトルコ領空に入ったのはタイムリミット直前の ことであった。 
 
尚、この時の航空機の第一機長オルハン・スヨルジュ(-2013年2月24日)と妻のヘルガ・スヨルジュが和歌山県串本町樫野のトルコ軍艦エルトゥールル号遭難慰霊碑への献花のため2011年3月27日に来日している。
 
 
この事件はのちにインターネット上の電子掲示板やメールマガジンを通じて親日国トルコのイメージを広めることに貢献し、
 
テレビでもTBSのクイズ番組「日立 世界・ふしぎ発見!」、
 
フジテレビのバラエティ番組「奇跡体験!アンビリバボー」や、
 
2004年にはNHKのドキュメント番組「プロジェクトX」
 
でも取り上げられた。 
 
 
実際は「伊藤忠」のイスタンブル支店関係者、在テヘラン日本大使館からのトルコ政府への救援要請に対し、トルコ側が了承し、トルコ航空機の派遣を決定した。
 
 
なお、この事件に関するシンポジウムが2007年10月28日、東京都三鷹市の中近東文化センターにて、当該トルコ航空機の元機長オルハン・スヨルジュ、元キャビン・アテンダント、野村元駐イラン日本大使、森永堯元伊藤忠商事イスタンブル支店長ら当時の関係者出席の上、行われている。 
 
 
この救出の後、1999年にトルコ大地震が発生したが、その際この救出された邦人の一部が義捐金を募りトルコに贈った。 
 
 
また、湾岸戦争勃発1ヶ月前の1990年12月に、当時国会議員だったアントニオ猪木が自らイラクに赴いて平和を訴えるイベントを行い、サッダーム・フセイン政権によってイラクからの出国を差し止められ事実上の人質として抑留されていた。
 
 
在留日本人の解放を果たしたとき、チャーター便を出してこれを助けたのもトルコ航空であった。 
 
 
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この事件は、トルコ航空の名を上げるとともに日本航空への信頼感を落としました。
 
いざと言う時に動いてくれる国が中東にあるのは、心強いことです。
 
 
 
 
 

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