日本の国境
〇竹島〇
■ 還らぬ島
北緯三七度九分、東経一三一度五五分、隠岐島の北西一五七キロメートルの海上に竹島はある。日本海の中に点のように浮かぶ岩礁である。
本来、無人島で、かつては初夏になるとアシカが群集し魚介類も豊富に取れ、島根県や鳥取県の漁民の貴重な漁場となっていた。
日本が竹島を正式に領有したのは、一九〇五(明治三八)年二月二二日のことであるが、それよりかなり以前から漁師達は渡航していた。日韓併合以前に、日本は竹島を領土としていたのである。
ところが、一九五二(昭和二七)年、韓国は一方的にこの島の領有権を主張し、武力により実効支配してしまった。李承晩ラインの内側に竹島を組み入れたのである。
海上保安庁の巡視船は、領海哨戒のため、年間数回、竹島の沿岸に近づいている。かつては、至近距離まで近づいていた。一二海里以内に入ると韓国海洋警察庁の巡視船が急速で接近し、警告後二回威嚇射撃をされる。それでも警告を無視して進行すると、船体の五〇メートルほど先に威嚇射撃を行なわれ次は船体を狙うと警告される。ここで、竹島への接近は諦めなければならない。実効支配とは、このように武力の行使を前提に行なわなければならないものなのだろう。
第二次世界大戦終戦後の処理にあたり、連合国最高司令部(GHQ)は「一定の遠隔地域の日本からの政治的・行政的分離」という訓令(連合軍総司令部覚書第六七七号)を出した。この訓令の中において、日本領から除外する島の中に鬱陵島、済州島とならび竹島も入っていた。しかし、これは、あくまでも訓令で、GHQの支配下にあった一時期、竹島が日本領から除外されたと考えるべきであろう。
戦後処理の総決算である一九五一年に締結されたサンフランシスコ平和条約においては、竹島は日本の固有の領土であることが認められ、日本の権利、権限を放棄する旧朝鮮の島としては鬱陵島、済州島、巨文島の三島が記載された。
この条約の草案を入手した韓国は、前記三島のほかに独島(竹島)、波浪島、対馬島を含めて、返還するよう米国に要求している。しかし、対馬島は歴史的に見ても完全に日本領であり、波浪島は東シナ海に浮かぶといわれる伝説の島で実在すらしておらず、竹島はGHQが認定したように日本固有の領土で、朝鮮が領有した歴史的事実は無いところから、要求が連合国に受け入れられることはなかった。
サンフランシスコ平和条約にもとづき、竹島が日本の領土であることが確認されると知って、韓国は武力占領に出たのである。当時の日本は、第二次世界大戦の痛手がさめやらず、GHQの支配下にあり、国家の主権も容易に主張できる状況ではなかった。日本がサンフランシスコ平和条約を批准し、発効することで国家の体制を立て直す前に、韓国は先手を打ったのである。
日本政府は、竹島の領有権を国際司法裁判所に委ねることを韓国に提案したが、韓国が受け入れるはずも無く、そのまま泣き寝入りの状態である。国際司法裁判所への審判請求は関係両国の同意が無ければ受理されない制度になっている。
■ すり替えられた歴史
韓国の竹島領有の主張は、そもそも錯誤にもとづいている。江戸期に日本と朝鮮の間で領土の問題が発生した鬱陵島に付属する竹島という小さな島を、いつのまにか現在の竹島にすりかえてしまった。現在の竹島は、二〇世紀初頭まで松島またはリャンコ島と呼ばれていた。リャンコ島とは竹島が西島と東島の二つの岩礁からできていることに由来する。また、誤解を生じやすいことに日本では、鬱陵島を竹島と呼んでいたのである。
朝鮮では、一七世紀後半、安龍福という人物が、鬱陵島と独島が朝鮮領であることを日本に渡航し認めさせたとしている。しかし、日本側の史料によると、鬱陵島で勝手に漁をしている朝鮮人を米子(鳥取県)の漁船が日本に連れ帰り裁きを受けさせようとしたと記録されている。当時、鬱陵島は日本領であると考えられ、鳥取の漁師たちがアワビなどの魚介類を取るために渡航していたのである。米子の漁船は、安龍福を漁場を荒らす、密漁者、密入国者として連れ帰ったのである。当時の朝鮮は、海禁政策をとっていて鬱陵島への渡航は禁止されていた。犯罪者である安龍福が帰国後、朝鮮の官憲に対し自己を正当化して説明したことは、かなり事実と異なっていたようだ。しかも証言は二転三転しているのである。竹島問題の歴史的背景は、下條正男氏「竹島は日韓どちらのものか」(文春新書)の中に詳しく書かれているが、韓国の歴史解釈は為政者が変わるたびに変更され、事実が歪められているようだ。
現在の竹島、韓国で言う独島には、韓国海洋警察庁の武装警官が駐在している。軍ではなく警察権を使い、あくまでも自国領の治安維持のためという名目で治めているのである。
二〇〇四年一月、韓国で竹島をモチーフとした記念切手が売り出されたことが、日本の新聞で報道された。竹島周遊の観光船も就航しているそうである(日本人が、この観光船の乗船を申し込んだところ拒否された)。実効支配も五〇年を過ぎると、歴史的事実となり、島の領有権も認めざるをえなくなる可能性もある。
日本が竹島を正式に領有していた期間は、一九〇五年から一九四六年までの四一年間である。既に韓国が実効支配している年月のほうが長くなってしまった。国際機関に領土問題の解決を諮るには、あまりにも時間が経ち過ぎ、日本にとって不利な状況にあるのは否めない。もし、竹島を取り戻そうとするならば、武力には武力をもってするしかない。しかし、我国の社会は、自国の武力による実力行使を許すことはできないだろう。
韓国にとって竹島=独島の領有は民族のプライドをかけた問題になっている。
一九六五年、韓国の朴正煕大統領は、訪問先の米国ワシントンでラスク国務長官と対談した際、「竹島に日韓が共同管理する灯台を設置し、帰属をこだわらないようにしてはどうか」との提案を受けた。朴大統領は、「うまく行かないだろう。小さいことだが腹立たしい問題のひとつだ。解決のために、爆破して消してしまいたい」と答えた。大統領が竹島を日本に渡すぐらいなら島ごと消してしまいたいと思うほど、国民感情に触れる問題なのである。
すでに、日本海で漁をする日本の漁船は、竹島に近づくことは無い。多くの日本人にとって竹島は忘却の彼方の島である。独島死守を叫ぶ国と国民の大半が関心を持たない国では、既に勝負がついているようだ。日本政府の外交政策では、竹島の返還を韓国に強く要求することもなく、永い年月が過ぎてしまった。竹島は、独島となり、二度と還らぬ島なのかもしれない。
余談であるが、二〇〇四年一月一五日の朝鮮日報のインターネット日本語版に、一八九四年にフランスの新聞社が掲載した地図に、独島がウルサ島(于山・現竹島)という表記で韓国領内に記載されていて、独島は歴史的に見ても韓国の固有の領土であるとの記事と地図の写真が掲載されていた。ところが、その地図の中央には、「MER DU JAPON」と「日本海」の名が大きく記載されていた。
韓国は、日本海を「東海」と呼ぶのをあきらめ、「日本海」であることを歴史的事実として認めたということなのだろう。
http://www.shinchosha.co.jp/books/html/610107.html&client=ms-nttr_docomo_gws_aw-jp&source=s&q=%E9%9F%93%E5%9B%BD%E6%B5%B7%E6%B4%8B%E8%AD%A6%E5%AF%9F+%E7%8B%AC%E5%B3%B6&sa=X&ei=V4qNU6iND8z68QWKn4CoCg&ved=0CCwQFjAIOBQ
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ここと尖閣諸島は、永久に紛争地として、維持すべきだと考えています。
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