被爆地長崎で活動している
「桔梗(キキョウ)プロジェクト」さんのHPより
◇目指していること…
被爆地長崎が、原爆の犠牲になったすべての方々が等しく静かに追悼される地となること、
そして、すべての日本人が胸を張って生きることができるようになること
桔梗(キキョウ)プロジェクトが始動してやがて2か月経ちます。
毎週、月、水、金のブログ更新も次回で20回目となります。
多くの方々に支えられて活動をしている桔梗プロジェクトですが、20回目を記念して、テキサス親父日本事務局の藤木俊一さんにご寄稿を頂きました。
今回と次回の2回にわけて、藤木さんからお寄せいただいたお話を掲載させて頂きます。
テキサス親父 日本事務局 藤木俊一さんよりご寄稿頂きました (Part1)
テキサス親父日本事務局
米国ケンタッキー州
ケンタッキー・カーネル
藤木 俊一
今年9月にテキサス親父の長崎講演会を開催した。
長崎と言えば、異国情緒溢れる古くから我日本国の海の玄関口であり西暦1500年代からキリスト教の布教が始まるなど、日本の他の地域とは明らかに異なる独特の文化が根付き、日本の文化と融合しながら独自の発展をし現在に至っている。
東京、大阪と共にカトリックの「三大司教区」の1つでもある。
江戸時代には、江戸幕府公認の貿易港としても栄え、西洋文化圏への門として大きな役割を担ってきた街であり、現在の日本の発展からは切っても切れない地理的に重要な場所である。
テキサス親父長崎講演会の翌日に、テキサス親父長崎講演会を企画していただいた「敷島の風」という長崎に根付いた愛国者のグループと、講演会に参加して頂いた数名の方々と共に市内観光をする機会に恵まれた。
市内の様々な名所を訪れて、最後に「長崎原爆資料館」見学に連れて行っていただいた。
この「長崎原爆資料館」は平成8年に作られ、戦争の悲惨さ、原子爆弾の悲惨さを風化させる事なく保存する事が目的で、世界の恒久平和を願うはずのものである。
原子爆弾により吹き飛ばされた建物の破片や高熱により溶けてしまったガラスの瓶、鉄道の線路など様々な展示がなされており、その『無差別殺人兵器』の凄まじさが展示されていた。
2年前にもテキサス親父と広島の平和記念公園を訪問する機会があった為に原子爆弾の悲惨さや想像を絶する破壊力に関しては知っていたつもりでいたが、長崎はそのすり鉢状の地形と平地面積の少なさ、街の中心部にその人口の大半が集中している人口過密地域である事が災いして、原子爆弾の威力が隅々にまで行き渡っていたと言う事がわかった。
この記念館の入り口付近に一つの記念碑とその前に日本語、英語、朝鮮語で説明書きがされている看板が掲げてあった。
よく読んでみると、そこには日韓併合が「植民地支配」とされており、朝鮮を武力で威嚇し朝鮮人の自由も土地も奪った為に行き場を失った230万人以上の朝鮮民族が強制的に日本に連行され強制労働を強いられ、虐待酷使の果てに原子爆弾が投下されたので、日本の責任であり、それに対しお詫びをし、朝鮮の平和的統一を願うと言う主旨の内容が記されていた。
この記念碑を建造した団体は「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」と記されており、その看板の下の部分には、「長崎平和資料館」という資料館の宣伝が記載されていた。
事後の調べにより「長崎平和資料館」は、私設の資料館だと言う事が判明した。
この記念碑と看板が立てられているのは長崎市の土地であり公共の場所である。
さらに長崎市立原爆資料館の展示の中に入って見ると、どうみても矛盾する記述のある展示が為されていた。
その展示とは、「からす第14部(1972年)」と題されているもので、『原子爆弾投下後に日本人の遺体は速やかに片付けられたものの朝鮮人の遺体は放置され、その遺体に多くのカラスが飛んで来て目玉を食べていた。日本人は朝鮮人の屍までも差別していた。』
『韓国だけでも1万5千人以上の被爆者が原爆手帳も無しに暮らしている』と書かれていた。
この2つに共通する事は、朝鮮人が強制的に日本に連れて来られて酷使され生きていても死んだ後でも「虐待」「差別」されたという内容であると言う事。
史実をたどると、日本に戦時徴用されたのは245人のみであるが韓国の国定教科書には650万人、李承晩は300万人、研究者によれば70万人など様々な説がある。
際の所は当時の朝鮮半島には仕事も無く、多くの仕事がある日本に生活する為に自由意志で渡ってきたと言うのが事実であろう。
さらに「転勤」のような形にて朝鮮半島の工場から日本の工場へ来た者もいただろうが、これらを「強制連行」と言うには無理がある。
歴史を見る時は、時代背景を含めて見なければ、現在の常識とは多くの面で異なっている為にとてつもなく大きな間違いをする事になる。
しかし、これを利用しているのが「被害者ビジネス」である。
これらの人数は学説や使用する意図により大きく異なるが、現在、問題になっているのは実際の数ではなく金儲けの為の「被害者ビジネス」の側面が強い事。
日本と朝鮮の違いは様々あるが、日本では、負の遺産も正の遺産も記述して客観的に歴史として取り扱われるが、朝鮮の場合は負の遺産を保存する事をしない。
これは、支那においても同様で、隠したい歴史は無かった事にする、穴を掘って埋める、爆薬を仕掛けて破壊するのである。
現在、朝鮮人やその支援団体が出している数字は、この「被害者ビジネス」が目的であり史実がどうであれ関係なく、被害者と称する数が多ければ多い程よいのである。
事実、被害者と称する数は、年々増加傾向にある。
◇桔梗プロジェクトが目指すもの
桔梗(キキョウ)プロジェクトは、被爆地長崎が、原爆の犠牲になったすべての方々が等しく静かに追悼される地となること、そして、すべての日本人が胸を張って生きることができるようになることを目指します。
具体的には、
・設置の権限すらない自虐掲示板を撤去させる
・原爆資料館から根拠のない差別を謳う自虐的な掲示物などを撤去させる
・原爆資料館のホームページから根拠のない差別を謳う自虐的な記載を削除させる
・これらをもとに、不当な主張や要求をする者への抗議をする
啓発活動、署名活動、行政上、司法上の手続き、教育現場への訴えなど、あらゆる方法を駆使してこれらの実現を目指します。
◇桔梗(キキョウ)プロジェクトの名称について
清楚で神々しいイメージの桔梗は、その一方で、正義、変わらない心、なにものにも媚びない、という花言葉を持ち、気高くも一本筋の通った力強さを感じさせます。
また、長崎市の市章は五芒星と呼ばれる星形をモチーフにしたものですが、この星形は花の形との類似から桔梗印とも呼ばれます。
長崎の地を中心に全国に発信し、強い信念のもとに活動するこのプロジェクトに相応しい名称として、桔梗(キキョウ)プロジェクトと名付けました。
http://kikyoproject.yamatoblog.net/kikou/20131125
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いろんな所で、日本のために頑張っている人がいます。
戦争責任を果たそうと真面目にしてきた日本に対し、根こそぎ取ろうしている中韓から国を守らなければ、滅茶苦茶されます。
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被爆地長崎より
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