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「紫雲丸沈没 修学旅行生ら死者多数」
1955年(昭和30年)12月22日
5月11日朝、霧の瀬戸内海で国鉄連絡船紫雲丸が沈没、多くの生命を海にのんで、また、わが国海難史に不幸な1ページを残しました。
沈没の場所は高松港の沖合4キロの地点、衝突した第三宇高丸の手前にかすかに白い線を残しているのが紫雲丸の船体です。海面にはおびただしい油が不気味に流れ、役に立たなかった救命ボートがくっきりと見えるのも哀れです。
惨事の知らせに高松桟橋はごったがえし、連絡所は安否を気づかう家族たちの暗い表情で埋まりました。
悪夢のような霧もようやく晴れて、救助作業は次第に進み、冷たい遺体が次々に揚がってきました。死者139人、事件3日後にしてなお生死不明54人、あまりにも大きな犠牲でした。
http://cgi2.nhk.or.jp/postwar/news/
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*画像は、Amazon様よりお借りいたしました。