前回の記事の解説のようなページを見つけました。
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こりあうぉっちんぐ
http://nobody0728.blog.fc2.com/blog-entry-6922.html
百済王子の末裔 日本から来韓=遺跡地に植樹も>馬鹿過ぎる
【益山聯合ニュース】
朝鮮三国時代・新羅の王子の末裔(まつえい)が日本からやって来た。
このたび来韓したのは、新羅26代王・聖王の琳聖王子の45代目にあたる大内公夫さん。大内さんは全羅北道益山市の名誉広報大使を務めており、29日から4日間、同市に滞在する。
大内さんは滞在中、先祖に対する祭礼を行うほか、地域の祭りに参加。また百済王宮遺跡内での植樹祭にも参加する。
同市の関係者は「琳聖王子の末裔が自ら植樹することで、そこが昔の王宮だったことを広報したい」と話す。
大内さんは「植樹することで、1400年前に栄えた百済の素晴らしさが益山によみがえる一助になればと思います」と話した。
琳聖王子は、新羅に父王を暗殺されたショックで朝鮮半島を去った。台湾経由で日本に渡り、当時の華やかな半島文化を伝えたとされる。
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2011/09/29/0400000000AJP20110929001900882.HTML
引用ここまで
何と言うか・・・・アホ記事を書くならもっと本当らしく書けよ。
”新羅26代王・聖王の琳聖王子の45代目にあたる大内公夫さん”・・・大内氏の末裔なんでしょうが本当かどうかは私には分かりません。
戦国大名としての大内氏は毛利元就に滅ぼされていますからね。
それに大内氏が、ウリは百済王子の子孫ニダ!などと名乗るのは14世紀の大内義弘の時代ですしねえ。
そもそも琳聖王子、大内氏の呼び方では琳聖太子などは明らかに大内氏が箔付けのために創作した架空の人物に過ぎませんし。
当然ながら朝鮮には一切の資料が存在しませんから聯合ニュースも適当に書いたんでしょうが”新羅26代王・聖王の琳聖王子”・・・伝説によれば”百済の聖明王の第三王子”ですよ。
そもそも新羅の王子の末裔が”植樹することで、1400年前に栄えた百済の素晴らしさが益山によみがえる一助になればと思います
”・・・なんてことをするわけがないでしょ。一応は見出しには「百済」と書いているんだから少しは記事のチェックというものを・・・・・
そういえば日本でちょっと韓国批判の文章を書いたために韓国の大学を追われて日本に帰った水野俊平に「韓国人の日本偽史」(02年5月1日 小学館文庫)という本があります。(著者名はペンネームで野平俊水)
その中で水野は韓国人の日本史歪曲について幾つかのパターンを挙げていますが、その中に「日韓合作偽史」というものもありました。
どういうことかと言いますと、悪意・善意を問わず、日本人が創作した日本と朝鮮の逸話などを韓国人が積極的に取り上げテキトーに歪曲して、本当ニダ!と言い張る類いのものですね。
水野氏の挙げた事例には王仁のことがありますが、これこそは日本書紀などの資料に現れるだけで朝鮮側には一切の資料が存在せず、おそらくは架空の人物ではないかという説もありますが、水野氏の本によれば韓国の全羅南道には王仁の遺跡が存在するということです。
この記事なんかも日韓合作偽史のいい例ですな。
そういえば09年には”歴史学者の上田正昭・京都大学名誉教授も特別顧問として加わって・・・王仁博士の「難波津(なにわづ)の歌」をハングル・和文併記した歌碑を大阪に建立した”・・・などということをやっていましたな。
韓国人はよほど古代(現代も)日本文化に憧れているんでしょうなあ。
それにしても新羅と百済を間違えて誰も気がつかないとは・・・・馬鹿過ぎる・・・・
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韓国は、自分たちで歴史を破壊して、都合良くつくりかえているんでしょう。
誰も実際に見たわけでもないし…
なんとでも言えますよ![にひひ]()
