今回の引用文の最終回だわ~
日本人は、嘘をついていない![ドキドキ]()

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正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
本当の歴史と外交! 日本国民の生命と財産と自由を守る核武装!取り戻せ、拉致被害者と領土と国家の誇り!がんばれ!維新政党・新風!
元慰安婦証言は検証せず=菅官房長官・安秉直教授「詳しく聞き取りしたが強制ない!金目的の売春婦」
№007
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http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html
■1.米軍がレポートする慰安婦の実態■
…彼女たちの暮らしぶりは、贅沢であった。
慰安婦は接客を断る権利を認められ、負債の弁済を終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。
また、ビルマのラングーンで慰安婦をしていた文玉珠さんの手記では、その生活ぶりを次のように語っており、米軍のレポートを裏付けている。
支那マーケットにいって買物した。
ワ二皮のハンドバッグと靴を買い母のためにもなにか買った。
将校さんに連れられてジープに乗って、ぺグーの涅槃像をみに行った。
ちなみに文玉珠さんは、平成4年に日本の郵便局を訪れ、当時貯めた\26,145円の貯金返還の訴訟を起こして敗れている。
千円もあれば故郷に家が一軒買えると体験記で述べているが、現在の貨幣価値なら、4~5千万円程度の金額を、3年足らずで貯めたことになる。
◆比較
※当時の貨幣価値
▽総理大臣月給 800円(東条英機)
▽陸軍大将月給 550円
▽一般日本兵月給 15~25円
━━絶対に越えられない壁━━
☆文玉珠
◇慰安婦の月収 1000円~2000円(アメリカ軍の調書)
◇元慰安婦、文玉珠の2年3ヶ月の郵便貯金 \26,145円…
現地で贅沢品を消費しながら大邱の家族に5,000円を送金し、26,145円(現在の貨幣価値で約6,000万円)を約2年で貯金した売春婦
1992年5月12日付毎日新聞記事によると、
文玉珠は1942年、18歳の時に釜山から100人~150人の若い女性と共にビルマのヤンゴン(ラングーン)に連れていかれたそうだ。
1992年5月12日付毎日新聞
(一部抜粋)
文さんの話では、1942年、18歳の時に釜山から百—百五十人の若い女性と共にヤンゴン(ラングーン)に連れていかれ、日本軍人の相手をさせられた。
歌が上手だったことから宴会にも呼ばれ、もらったチップを野戦郵便局に「文原吉子」名義で貯金していた。
歌が上手だったことから宴会にも呼ばれたそうだ♪
「博多夜船」♪や「博多節」♪などを18歳の時に覚えたそうだ。
←事実
以上のとおり、1992年当初、文玉珠は、荒稼ぎして贅沢しながら貯めた大金の支払いを請求していたのだが、慰安婦が大金を荒稼ぎしていたことは、反日勢力にとって不都合な事実だった。
したがって、彼女はあれこれと様々な嘘を吐いた。
▲1992年の証言
1942年、18歳の時に釜山から100人~150人の若い女性と共にビルマのヤンゴン(ラングーン)に連れていかれた。
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1996年5月法廷での証言
十六歳の時、日本人の憲兵らに呼び止められ、大邱市から満州国などに強制連行されて慰安所で働かされた。
文玉珠については、「証言集の本」と「手記の本」が出ているが、様々な食い違いを露呈している。
■慰安婦になるまでの経歴
◆「証言集の本」
私立の夜間学校に3年通う
10歳から15歳 お手伝い
15歳から17又は18歳まで 靴下工場勤務
17又は18歳 ビルマに行き慰安婦にされる
◆「手記の本」
12歳頃 九州で働く
半年で韓国に帰国し キーセン見習い
16歳 満州国へ拉致される
17歳 帰国してキーセンになる
仲間とビルマに渡り慰安婦となる
■慰安婦となったときの感想
◆「証言集の本」
びっくりして 昼も夜も泣き通しだった
◆「手記の本」
薄々察していたので 驚かなかった
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5386.html
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嘘をつくとそれを誤魔化すために更に嘘をつかないといけない。
未来永劫、嘘を重ねないといけない…