糖尿病治療の医師から見た孤食です。
糖尿病を医学的検知からだけでなく社会学的考察を含めて見るナラティヴアプローチで運営されています。
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ナラティヴ・カフェ Narrative Cafe
Diabetes Cafe:糖尿病診療におけるナラティヴ・アプローチ
マスター杉本(医師)
DIABETES CAFEとは?
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「共食」と「孤食」についての考察
2月 6th, 2015 ・ No Comments ・ 糖尿病療養指導
職員食堂で他科の先生方と一緒になりました。
そこで
「これからはDMは増加しますよね」
という話題になりました。
そこで
「やっぱり、食べることをコントロールすることは難しいですからねぇ」
という意見が出たとき、僕は概ね次のようなことを言いました。
DMは人類の文化と連動している病気なので増えるのだろうと思います。
交通手段の発達、食文化の変遷、食のグローバル化、未婚率の増加、経済格差、そして『孤食』です。
食は人間にとって「文化的な営み」なのです。
例えば、毎日の朝食、共働きの夫婦なら、疲れていたら寝坊して、朝食を別々に食べるというのは合理的な判断です。
でも、みんな一緒に起きて、「一緒に朝食」を食べますよね。
「一緒に朝食をする」という行為は単に「食物をお腹に入れること」以上の意味があるからだと思います。
「一緒に食事をする」ことで夫婦は夫婦であり続けることができます。
それは夫婦の絆にもなっています。
あるいは80才になる母親が息子の帰宅を待って、21:00過ぎまで夕食を食べずに待つのも、食事を共にすることが大切な文化的な営みだからだと思います。
大袈裟な言い方をすれば「食事を共にする文化」を守り続けることで、私たちは健全な精神を保ち続けることができるのかも知れません。
「食事」は私たちの人生の根幹をなす大切な文化的な営みなのだと思います。
それ故に『孤食』という状態がもたらす問題はとても深刻です。
食事指導では、こうした文化的な意味合いにもしっかりと目を向けることが大切なのだろうと思います。
■村上春樹作品にみる「朝食」の物語論的機能
「共食」と「孤食」についての考察に加えて、もう少し具体的に村上春樹作品から解説してみたいと思います(内田 樹『村上春樹にご用心」からの引用です)。
村上は『孤食の味』を絶妙なタッチで表現しています。
食事の味は「誰と」「どんな関係で」「どのような状況」で食べるか? によって大きく異なることが雄弁に表現されています。
孤食と共食.001
http://sugimotomasatake.com/?p=616
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なかなか、ユニークな視点です。
ついつい、検査データで評価しやすい食事についての分析がユニークです。