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金正男暗殺事件、亡命した北朝鮮元公使の証言は信用できるのか? 韓国発情報の「あやうさ」を改めて考

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韓国の「読み方」

金正男暗殺事件、亡命した北朝鮮元公使の証言は信用できるのか?

韓国発情報の「あやうさ」を改めて考える

2017/03/06

澤田克己 (毎日新聞記者、前ソウル支局長)


 金正男氏殺害事件は、マレーシア政府が北朝鮮大使を「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」として国外追放する事態に発展した。東南アジアは友好国の多い重要な地域であるだけに、北朝鮮の被る外交的ダメージは非常に大きい。なぜこんなに割の合わない事件を起こしたのか、謎は深まるばかりだ。(参考:「金正恩は金正男暗殺事件の波紋に驚いた?」「金正男暗殺事件がもたらす北朝鮮と東南アジアの外交危機」)


 これまでも繰り返し指摘してきたが、事件を巡って判明していることは多くない。特に、北朝鮮側の意図に関しては推測だけだ。そして、その中で異彩を放つのが、北朝鮮の元駐英公使で韓国に昨年亡命したテ・ヨンホ氏の証言である。興味深い話が多いのだが、残念ながら信ぴょう性に疑問を持たざるをえない内容が少なくない。控えめに言うならば、「一部のメディアによって過大評価されている」というのが多くの専門家の見立てである。


テ・ヨンホ氏(写真:YONHAP NEWS/アフロ)


 私は昨年9月に「心配募る朴大統領の北朝鮮観 韓国発の北朝鮮情報は気を付けて見るべき」という記事を書いた。今回の事件に照らして、改めて韓国発情報の「あやうさ」を考えてみたい。



■ 説得力ある証言もあるけれど…

 事件の起きる前ではあるが、私は1月末に出演したBS番組でテ・ヨンホ元公使の証言へのコメントを求められた。米メディアとのインタビューで、トランプ政権発足に関して「金正恩委員長は米新政権との間である種の和解を結ぶ好機だととらえている」と語ったのだという。私は思わず「眉唾」と言ってしまった。生放送で言い過ぎたかなとは思ったものの、やはり疑わしさはぬぐえない。


 落ち着いて考えてみてほしい。北朝鮮にとって対米関係はもっとも重要で機微な外交問題である。駐英公使クラスが口をはさめる問題ではないし、トップシークレットであるはずの対米外交の方針が在英大使館に流れてくることなどありえない。日本だったらどうだろうと考えてみれば、すぐに分かることである。


 今年1月に『新版 北朝鮮入門』(東洋経済新報社)という本を私と共著で出した礒�敦仁・慶応大准教授はテ・ヨンホ氏について「英語が流ちょうで、北朝鮮の対外宣伝の窓口としてロンドンの外交官の間ではよく知られた存在だったようだ。北朝鮮外務省の実情やエリート層の考え方を披露する証言には説得力があるものの、金正恩政権そのものについて語った証言には注意が必要だ」と指摘する。


 そもそも元公使は幹部外交官ではあるものの、序列はそれほど高くない。北朝鮮外交官の亡命としては、1997年に張承吉(チャン・スンギル)駐エジプト大使夫妻と兄の張承浩(チャン・スンホ)・フランス貿易代表部代表がそろって米国へ亡命している。張大使は92年に40歳代前半の若さで外務次官となり、94年に駐エジプト大使となったエリート中のエリートだ。


 ちなみにエジプトは、非同盟諸国との外交を重視してきた北朝鮮にとって中東アフリカ外交の拠点となる重要な国であるとともに、ミサイルをはじめとする兵器の主要な販売先でもあった。張大使は本当に重要な情報を知っていただろうが、公開の証言はない。それに比べれば、経済・外交両面でたいした関係のあるわけでもない英国に駐在していた外交官の知っていたことには限りがあると考えるのが普通だろう。



■ 金正恩氏に会ったことは「ない」

 読売新聞の2月25日付朝刊によると、テ・ヨンホ元公使は韓国のニュース専門テレビ「YTN」のインタビューで、金正恩委員長が金正男氏の殺害指令を出したとしたならば、「幼い時から正男氏を極度に憎悪してきた結果」で、正恩氏の「偏執症」のせいでもあると述べたという。これも首をひねらざるをえない話だ。


 宮本悟・聖学院大教授は、幼少期から正男氏を世話してきた叔母で1990年代半ばに西側へ亡命した成惠琅(ソン・ヘラン)氏の「金正日総書記は二つの家庭を徹底的に隔離していた」という証言を挙げる。正男氏と正恩氏は異母兄弟であるが、互いの存在は知らなかっただろうということだ。


 宮本教授はさらに、「金正日の料理人」として知られる藤本健二氏の証言も指摘している。藤本氏は1987年から計13年を北朝鮮で過ごした。1984年生まれの正恩氏を幼少の頃から知り、母親で元在日朝鮮人の高英姫(コ・ヨンヒ)夫人とも親しくしていた人物だ。宮本教授は「その藤本さんが正男氏の存在を知らなかったと話しているのだから、正恩氏が知っていたと考えるのは難しい」と話す。


 正男氏の叔母と藤本氏のどちらも、それぞれの「家庭」と密接にかかわってきた人物である。それに対して元公使は今年1月の韓国紙「ソウル新聞」とのインタビューで、「金正恩に会ったことはあるか」という質問にこう答えている。


 「ない。金正恩がどこで仕事をし、家はどこにあり、どうやって職場に通っているのか、知っている人は、ほとんどいない。私は北朝鮮に数十年暮らしてきたが、金正日や金正恩が乗った車が平壌市内で通りすぎるのを見たことも、一度もない」



■ 正男氏と正恩氏、母の出自は五十歩百歩

 読売新聞によると、テ・ヨンホ元公使はYTNとのインタビューで、金正恩氏にとって「北朝鮮住民に金正日総書記の後継者だと認識させることが困難な要因の一つに、正男氏の存在があった」と話したという。建国の父である金日成主席の血を引く「白頭山の血統」という問題を持ち出し、「白頭山の血統のアイデンティティーと大義名分(のなさ)が正恩政権の一番のアキレスけん」と指摘したそうだ。


 この主張の肝は、正恩氏の母である高英姫夫人が日本生まれであることにある。高夫人は1950年代末に始まった在日朝鮮人帰国運動で日本から北朝鮮に渡った。そして、元在日朝鮮人は北朝鮮で差別される対象だから、正恩氏は正男氏に対してコンプレックスを持っているという説明になる。


 確かに最高指導者の母が日本生まれというのは、北朝鮮としては明かしたくないことだろう。ただし、この説明で見落とされているのは、正男氏の母である成惠琳(ソン・ヘリム)氏の出自も北朝鮮の感覚では「悪い」ということである。成氏は朝鮮戦争中、共産主義者だった母に連れられて姉の惠琅氏とともに韓国から北朝鮮へ渡った女性だ。


 北朝鮮では、日本の植民地だった時代や朝鮮戦争時の父母や祖父母らの立場で決まる「出身成分」が住民の分類に使われる。その内容は、(1)労働者や貧農、革命遺族などの核心階層、(2)手工業者、小工場主、日本からの帰還者などの動揺階層、(3)富農や地主、日本の植民地支配から解放された後に南から北へ来た「越北者」、キリスト教信者などの敵対階層・・の3階層51分類とされる。これに従うなら、正恩氏の母は真ん中の「動揺階層」、正男氏の母は一番下の「敵対階層」である。しかも正男氏の母の家系は、地主でもあった。


 90年代に西側へ亡命した成惠琅氏の自叙伝『北朝鮮はるかなり』(文春文庫)には、正男氏の母である自らの妹について語った次のような一節がある。


 「惠琳は数多くの映画の主役をつとめた中堅の女優であったが、成分がよくないために俳優の等級もあがらず、党員にもなれなかった」


 それでも金正日氏に見初められれば、出身成分など関係なくなるのである。正男、正恩両氏の母の出自の違いなど五十歩百歩でしかない。



■ あやしい「正恩氏母の墓石に名前刻めず」

 金正恩氏の母である高英姫氏が日本生まれであることを強調する「白頭山の血統」コンプレックス説は、これにとどまらない。


 産経新聞の2月26日付朝刊は、「韓国に亡命した元駐英公使は、高氏のものとされる墓石にも高氏の墓碑銘はなかったと証言している」と伝えている。産経新聞には書かれていないが、韓国メディアを調べてみると、1月に韓国国会内で行われた議員との懇談会での発言のようだ。テ・ヨンホ元公使はこの時、「生母の墓碑に名前すら刻めずにいる」と語ったという。


 産経新聞は、元公使の証言に続けて「出自に負い目を持つ正恩氏にとって、海外で暮らす金日成主席の直系の兄、正男氏は常に目障りな存在だったことは想像に難くない」と書いている。


 ただ、この「墓石に名前すら刻めていない」というのもあやしい。


 前出の藤本健二氏は2012年7月、最高指導者となった正恩氏の招きで11年ぶりに北朝鮮を訪問した。藤本氏は著書『引き裂かれた約束』(講談社)で、高夫人の墓参りをしたことを明かしている。抗日パルチザン闘争の戦士たちが眠る大城山革命烈士陵の裏手の丘にある墓は質素なものだったが、藤本氏は「もっともっと墓を立派にする計画があるそうだ」と記している。藤本氏は「坂道を花束を抱えのぼってくる幹部らしき男性」も目撃しており、「すでに、幹部らの参拝は奨励されているようだった」という。


 ともかく藤本氏が墓参した時の様子は「幅4メートルの真新しい石段を30~40段のぼったところに、高さ2メートルほどの草でおおわれた土まんじゅうがひとつあるだけ、その右わきに高さ1・5メートルほどの墓碑がぽつんと建っていた」そうだ。ただ、墓碑にはチマ・チョゴリで正装した高氏のバストアップのカラー写真がはめ込まれ、ハングルで「コ・ヨンヒ同志 1952年6月26日・2004年5月24日」と刻まれていたという。


 藤本氏はかねてから、金正日総書記の料理人として働いていた時に高夫人からよくしてもらったと振り返っていた。この時の訪朝では、3回も墓参りをしたという。金正恩体制下でも特別待遇を受けている藤本氏が、かつて世話になった高氏の墓参りをするのは自然なことだ。藤本氏のスタイルを考えると、墓石に名前も刻まれていないのなら、それを嘆くように思われる。少なくとも、名前が刻まれていないのに「刻まれている」と嘘をつく理由は見当たらない。ここはやはり、藤本氏の証言を信頼してよいのではないだろうか。



■ 周囲の反応を気にする脱北者たち

 脱北者の証言はオーバーなものになることが多い。証言を重ねるたびに細かい部分で食い違いを見せたり、あるいはディテールがどんどん肉付けされたりしていくこともある。


 平岩俊司・関西学院大教授は、坂井隆・元公安調査庁調査第2部長との対談をまとめた共著『独裁国家・北朝鮮の実像』(朝日新聞出版)で、「北朝鮮では人肉が市場に出回っている」という話が出た時に「自分も食べた」と証言した脱北者の話を紹介している。関係者が後で確認すると、この脱北者は実際にはそうした話を聞いたことがあるだけ。「インパクトがあると思った」ので、自分も食べたと話したということだった。


 坂井氏は「サービス精神なんだ(笑)」と受けているが、まさにそうなのだろう。自らの生まれ育った体制を裏切って韓国に来ているという境遇は、心細いもののはずだ。どうしても周囲の反応を気にせざるをえないのは、人間として当然だろう。だから周囲の期待に応えようと、ついオーバーな話にしてしまうことがある。それを、私たちが簡単に批判できるものだろうか。


 テ・ヨンホ元公使の証言にしても、礒�准教授の指摘するように信頼度の高そうな部分はある。大事なのは、彼らの証言を聞く側の姿勢だ。礒�准教授は「彼の証言には参考となるものも多いが、金正恩委員長に関する情報など現段階でクロスチェックが難しい情報は慎重に接するべきだろう」と話す。面白いからと飛びつくと、やけどするのが落ちである。



メモ筆者の新刊(2017年1月13日刊行)。礒�敦仁・慶応大准教授との共著で2010年に出版した「LIVE講義 北朝鮮入門」を全面改訂し、金正恩時代の北朝鮮像を描く。核・ミサイル開発などの最新データを収録。

http://wedge.ismedia.jp/articles/print/9045


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