京都・宇治の高級茶店
「伊藤久右衛門」様
より抜粋させていただきました。
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懐かしい日本の原風景が残る京都・嵯峨野。
観光客が絶えない有名寺院・大覚寺を少しばかり北に行くと、やがて建ち並んでいた民家もまばらになってきます。
そのまま田畑を眺めながら小道を進んでいくと、その先に現れるのが直指庵。
嵯峨野の中でも最も北にあるここ直指庵は、まさに「庵」という名前がぴったりの静寂に包まれたお寺です。
直指庵は正保3年(1646年)、臨済宗の僧・独照禅師(どくしょうぜんじ)が開いたのが始まりで、禅の教えに従って、あえて寺名は定めませんでした。
一時は大寺院となりましたが、後に荒廃。
幕末になって、近衛家の老女・村岡局(むらおかのつぼね)が浄土宗の寺として再興した歴史があります。
「直指庵」という名前、そのひとつひとつの文字を眺めていると、心にすっと差し込むものを感じるのではないでしょうか。
これは、「直指人心(じきしにんしん)見性成仏(けんしょうじょうぶつ)」という禅の言葉が由来となっています。
「直ちにあなたの心を指してごらんなさい。そこには仏性、つまり仏さまになる種(性)があるんですよ」という意味です。
人は何か不都合や困難な事に直面したとき、他人や社会のせいにすることがあります。
しかし、そんなときにこそ「人や社会のせいにしてはいけない」と反省する、その気持ちこそが仏性です。
手を合わせて拝み、そして、自分自身と向き合う時間をもつことで、仏性は磨かれていくのだそうです。
ここを訪れる方はそんな思いを感じながら、数時間、長い方では一日中過ごす方もいらっしゃいます。
竹やぶに囲まれ、ひっそりとたたずむ直指庵。
ここは自分自身の心を養うための空間なのかもしれません。
隠れ寺のような趣きがある直指庵ですが、全国にその名を知られるようになったのには、「想い出草ノート」の存在があります。
このノートが置かれたのは昭和31年。
当時は本堂に落書きが絶えなかったことから、その対策にノートが置かれるようになりました。
最初は庵を訪れた記念に名前を記帳していたのが、やがて俳句などが添えられ、次第に悩みなど心の内が綴られるようになりました。
想い出草ノートには「そっとその意地を私の心(ノート)にすててください。
苦しむあなたをみているのがつらいのです」と書かれています。
時代によって悩みはさまざまですが、今も昔もその多くは恋の悩み。
訪れる方の中には心に苦悩を抱え、時には人生に絶望を感じている方もいらっしゃいます。
しかし、本堂の仏様に見守られている安心感からか、このノートにすべて吐き出すと、また一からやっていこうと新たに出発できるのだといいます。
ノートには女性はもちろん、男性の方も想いを綴られています。
ちなみに男性は人生についての悩みが多いとか。
自然に囲まれ、一人静かな時を過ごせる環境だからこそ、素直に心と向き合えるかもしれませんね。
今や、ノートの数は5000冊を超えており、毎年秋にはすべてのノートが公開されています。
「以前書いたものを読み返したい」「友人や恋人が書いたものを読みたい」というような要望があったからなんだそう。
また、昭和58年には、境内奥に高さ2.4メートルの「想い出草観音像」が建てられました。
柔和で優しいお顔立ちをした観音様は、ここを訪れた方々を、ノートに書かれた苦しみや悲しみから救ってくださるといいます。
※~12月4日(日)まで「想い出草ノート」を公開中
https://www.itohkyuemon.co.jp/site/kyoto/tuu260.html