「遠野物語」は、一時、ブームでしたね~
そこにアンノン族まで行っていたとは、知りませんでした…
読売新聞の記事より
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遠野物語 次の100年
「アンノン族」再訪
遠野物語100年祭で演じられた神楽(12日)
=池谷美帆撮影
遠野の町外れにあるデンデラ野を歩く女子大生たち。
子供心には決しておしゃれな場所ではないだけに、「何でこんなお姉さんがいるのだろう、と思ったものです」。遠野市中央通りの池端厚さん(55)が1970年代後半を懐かしむ。
遠野の第1次ブームの立役者は、当時一世を風靡(ふうび)した女性雑誌「アンアン」、「ノンノ」だ。
遠野特集が何度も組まれ、若者の姿が急に増えた。
雑誌片手に各地を歩き、「アンノン族」と呼ばれた当時の若者が今、遠野に再訪を始めている。
紫波町平沢の公務員藤尾智子さん(55)もその1人。
かつて訪ねた観光施設「伝承園」などが思い出され、最近も足を運ぶ。
「若い女性向けの国内旅行の特集が多く、その中に遠野がありました。
不思議な民話があり、ちょっとロマンチックで乙女心をくすぐる場所でした」
デンデラ野(遠野市土淵町で)



仕事や子育てが一段落したこの層を狙い、JRや旅行会社はツアーを作るなど手を打つ。
県交通も、2007年から遠野と東京をつなぐ夜行高速バス「遠野釜石号」を運行し、利用者を着実に増やしている。
市観光協会の立花信一事務局長は最近、観光客に若者が多いことにも注目する。
「ゲームやインターネットで怪奇ものが人気なのが関係するのではないか」
中高年層の望郷感と、若者の異界への好奇心。
遠野に引きつけられている。



訪れる人に遠野が提供するのは「飾らない遠野」だ。
市内で綾織町の山中を少し歩くと、こけむした岩が現れる。
約250年前、凶作で餓死した人々の供養のため、多数の岩に羅漢の絵を刻んだ「五百羅漢」だ。
現場には、岩の存在を示す目印はない。
だが、歩いて10分ほどの通りに目立たない案内板があり、そこに木のつえが用意されている。
足場が悪いところを通るから、というちょっとした配慮だ。
一般の観光地のように、押しつけがましい案内や演出はない。
かやぶき屋根が印象的な同市土淵町山口地区の「山口の水車」駐車場のトイレはいつも清潔だ。
毎週、住民が順番に2時間かけ、清掃する。
遠野の農村イメージを観光客が楽しめるのも、こうした見えない気遣いがあるからだ。
洗面所に置かれたノートには「きれいなトイレでうれしい。
岩手が好きになりました」など利用者の言葉がずらり。
近くの新田あつ子さん(63)は「大げさなことはできない。あるがままでもてなす、それでいいじゃない」とほほ笑む。
12日に市内で行われた「遠野物語100年祭」では地元の夜神楽が披露され、市民らが遠野の心を伝えた。



発刊から100年。行き交っていた馬は車になり、城郭も姿を消した。
だが、物語を培った自然、人の営みは当時の遠野を色濃く残す。
人々は、物語をさりげなく、したたかに生かしながら、次の100年を紡いでいく。

デンデラ野 物語111話。
当時の風習で、60歳を超えた老人が追いやられ、共同生活を送ったとされる場所。
一般的な「姥捨て」とは違い、集落に比較的近い場所にあり、日中は農作業を手伝っていたという。
市内に数か所ある。
(終わり。この連載は宇田川宗、辻本芳孝が担当しました)
(2010年6月13日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/iwate/feature/morioka1276178898548_02/news/20100613-OYT8T00165