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シルクロードに降り注ぐ「死の灰」その1

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中国(民主化・人権)・台湾・チベット・ウイグル・内モンゴル情報wiki

http://www26.atwiki.jp/cttum/m/


シルクロードに降り注ぐ「死の灰」

■1.『シルクロードの死神』■

ある日本人青年がシルクロードを一人で旅をしていた時のこと、こんな体験をした。

ローカルバスに乗って南新彊をめざしていたところ、突然昼間なのにピカッと光るものを感じた。その後、バスの中を見渡すと同乗者たちが皆、鼻血を流している。その光景は滑稽にさえ思えた。そころが、鼻に手を当てると自分も同じように血が出ているのに気がついた。バスの中は騒然となった。あの時、私は被爆したのかも知れない。

新彊ウイグル自治区の南部に広がるタクラマカン砂漠には、中国の核実験基地がある。その風下に位置する西側の村々では、直接、放射性物質が降り注ぐ。

大脳未発達の赤ちゃんが数多く生まれ、奇病が流行し、ガンの発生率は中国の他の地域に比べて極めて高い。その9割が血液のガン、白血病である。中国政府の圧力のために、こうした事実は公にされず、貧しい患者たちは薬も買えずに死を待つ。

こうした状況を報道したドキュメンタリー "Death on the Silk Road" 『シルクロードの死神』が1998年7、8月、イギリスのテレビ局で放映され、衝撃を与えた。この番組は、その後、フランス、ドイツ、オランダなど欧州諸国をはじめ、世界83カ国で放送され、翌年、優れた報道映像作品に送られるローリー・ペック賞を受賞した。

弊誌で調べた範囲では、この83もの国々の中に、なぜか我が国は含まれていないようだ。


■2.ウイグル人医師の苦難■

ドキュメンタリー番組の制作に協力したウイグル人医師アニワル・トフティのこれまでの人生が、中国に植民地支配されているウイグル人たちの苦難をよく物語っている。

アニワルは難度の高い手術を行い、国際学会にも幾たびか出席するような優れた外科医だった。しかし中国内の民族差別に耐えかねて、同じテュルク系民族の国で働きたいと、語学留学を理由にトルコに渡った。そこで英国のテレビ記者に誘われて、ドキュメンタリー制作に協力したのだった。

中国の核実験による後遺症を世界に告発した「罪」で、「新彊分裂主義分子」のレッテルを貼られたお尋ね者となり、「中国に入境すれば禁固20年は免れない」という。家庭は崩壊し、中国に残してきた二人の子供も出国は許されず、祖父母に養育して貰っている。

今はイギリスで、大勢のウイグル人亡命者とともに暮らす。

ここでは中国の医師免許は認められないので、外科医として働くこともできない。慣れない生活と苦しい暮らし向きにもかかわらず、彼は「決して後悔していない」と語る。


■3.「豚は彼らの先祖だから喰わないんだ」■

アニワルは1963年シルクロードの東端コムルに生まれ、鉄道局の学校に勤務する父の転属で新彊の中北部に位置するウルムチに引っ越し、そこで育った。当時、鉄道局に雇われているウイグル人はほとんどおらず、同局の運営する幼稚園や小中学校で、アニワルは漢人に囲まれて育った。当時は、子供どうしで一緒に遊んでいた。

だが、子供心に傷ついたのは、漢人の大人から蔑まれることだった。小学校2年の時、同級生に家に遊びに行った。食卓にはご馳走が並んでいて、一緒に食べようと誘われたとき、「豚肉以外のものなら」と言うと、同級生は不思議そうに「どうして豚肉を食べないの?」と聞いた。

「イスラム教の教えでね」と答えようとするアニワルを遮って、その同級生の父が言った。「豚は彼らの先祖だから喰わないんだ。」 
漢人は自らの先祖を龍だとする。動物を先祖と考えるのは、漢人の独特の民族伝統だろうが、その思考を他民族にも適用してウイグル人の先祖を豚とする。いかにも漢人らしい差別である。

アニワルは心底傷ついたが、それをバネに「漢人に負けるものか。僕は劣等民族じゃない」と、猛勉強するようになった。


■4.1949年、中国共産党の軍隊が占領■

ウイグル民族が漢人の支配に屈したのは、わずか60年前、第2次大戦後のことだった。現在、独立運動の指導者であるラビィア・カーデル女史は、当時のことをこう回想している。

当時、アルタイ(JOG注:新彊北部、モンゴル国境近くの町)ではロシア人は多かったのですが、漢族を見かけることは極々稀で、たまに漢族がいたら「ヒタイ(中国人)だ」と噂になったものです。山岳地方に住むカザフ族と、麓に住むウイグル族との関係は良好で、互いに密な往来をしていました。

アルタイのウイグルの家々は豊かで、私の家など他家に比べたら、豊かとは言えない部類でした。庭には犬を飼い、美しい木々や香りのよい花々が何種類も植えられ、裏の山からは鳥が飛んできて囀(さえず)っていました。しかし、そんなアルタイの風景が一変したのは、この地が中華人民共和国の統治下に入ったときからです。

1949年、中国共産党の軍隊が「東トルキスタン」を占領し、ウイグル族、カザフ族を問わず、お金持ちの家の人々を逮捕しました。逮捕者は着の身着のまま大きなトラックに乗せられ、タリムの砂漠にある労働改造農場や、監獄へ送られていきました。[1,p18]

カーデル女史の家も、1962年の再調査で「資本家」のレッテルを貼られ、家も土地も店もすべて没収された。父親は山に逃亡し、残された母とカーデル女史と幼い弟妹たちは、トラックでタクラマカン砂漠に連れて行かれ、そこで置き去りにされたという。

こうして、ウイグル人は独立を失い、漢人に植民地支配されることになった。


□出典

JOG(523) シルクロードに降り注ぐ「死の灰」

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h19/jog523.html


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