台湾から帰化した 金 美齢 女史からの日本人へ
金 美齢さんとは、どのような方か…
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パスポートを奪われ、31年間母国に戻れず。
異国の地で学生結婚、在学中の子育て。
テレビでの本音発言で、コメンテーターを首に。
大変なこと、辛(つら)いこと。
すべてはやがて
生きる喜びのタネになる。
白髪のショートヘアとおしゃれなストールがトレードマーク、歯に衣着せぬ発言が痛快な著者。
日本統治下の台湾に生まれ、留学先の日本で台湾独立運動に関わったことで帰国できなくなり、母国の独立を目指す日本での闘いを続けます。
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台湾から見ると、日本人の危機感のなさに驚くらしい…
日本人が差し迫った危機を感じるのは、地震ですが…
それ以外に、大陸・中国が…
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私は、なぜ日本国民となったのか (WAC BUNKO)
金 美齢

「わが日本人よ、国家意識をもちなさい!」
いま、彼女は、日本人としてこの国の最前線で戦おうとしている。
狡知に長けた「中国式」に対抗するためには、日本人はしっかりした国家観、歴史観をもたなければならない。
自国の歴史に対する深い造詣と自負が求められる。
日本人に生まれたということは、日本という国の歴史を背負っていくということである。
滞在五十年、台湾人から日本人へ!

第1章
私は、なぜ日本国民となったのか
(台湾は歴史の分水嶺を越えたかに見えたが…
「私、台湾人をやめます」
ほか)
第2章
台湾人に生まれた悲哀
(歴史の転換点となった二・二八事件
台湾全土で横行した白色テロ ほか)
第3章
台湾独立運動に身を投じた五十年
(「金美齢は天才だ」
超進学校の劣等生 ほか)
第4章
台湾人の「日本精神」(台湾人自身が使い始めた「日本精神」という言葉
「あの人はリップンチェンシンだから…」 ほか)
第5章
「国家意識」なき日本人へ
(日本人にとって、国とは空気のようなもの
“自分の国を守る義務”について考えようとしない ほか)

金 美齢
評論家。
1934年、台湾生まれ。
1959年、早稲田大学第一文学部英文科に留学。1971年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。
1975年より英・ケンブリッジ大学客員研究員。早稲田大学講師などを経て、評論家としてテレビ、雑誌等で活躍。
JET日本語学校理事長。2000年5月~2006年5月まで台湾総統府国策顧問
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
https://www.amazon.co.jp/
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日本に対する熱い思いは、選んで日本人になったからこそ、強いのでしょう…
オバサンが国籍を選ぶのなら、日本です。