李英愛という美人韓国女優と「明心宝鑑」のお話しです。
ファンの方が「明心宝鑑」について調べて、アップされています。
引用させていただきます。
↓↓↓
- 李英愛研究 - Yahoo!ブログ
「明心宝鑑」
さて、イ・ヨンエの関連ページやブログを覗いていたら「明心宝鑑」という書物が出てきた。
「大長今」に出演した後輩の女優がイ・ヨンエから贈られたのがこの本だという。
まさかこんな大古典、実物を贈ったわけではないだろうし、複製にしても素人が手を出せる内容ではない。
この本についての解説本・口語訳の類であろう。
「明心宝鑑」は日本でいえば、例えば「庭訓往来」をもっと固く衒学的にした書物ではなかったろうか。
大学で独語を学び、大学院では新聞放送学を専攻したイ・ヨンエであるが、当時は売れっ子モデルとして多忙であっただろうから、こういう大古典を腰を据えて読む機会などなかったであろう。
おそらく、「大長今」の役作りをしている段階で目にしたか、役作りのために勧められた本だろう。
「明心宝鑑」自体について当方はあまり知らないので、贈ったのがどんな本なのか非常に興味をかき立てられる。
というわけで、とりあえず「明心宝鑑」での検索に引っかかった筑波大学の『つくばね』第123巻第2号の中に下の文章があった。
《・・・本学には『明心宝鑑』という「善書」の朝鮮版が所蔵されている。
「善書」とは日常生活上の道徳倫理を分かりやすく記した教養書で,明の時代に非常に流行し,その流行は朝鮮半島から日本にまで及んだ。
ただ従来は、『明心宝鑑』がいつごろ著作されたものかわからず,また現存する書物も1592年の写本が最古のものと思われていた。
ところが,本学の『明心宝鑑』は,朝鮮李朝端宗24(1454)の刊行であった。
つまり現存最古の『明心宝鑑』であることが分かったのである。
またその序文には明の洪武26年(1393)の日付があり,『明心宝鑑』の著作時期が明代初期にあることも確実となった。
さらに調べを進めてゆくと,『明心宝鑑』は16世紀末,西欧語に翻訳された初めての漢籍であることが分かった。
また17世紀末には,ドメニコ会宣教師ドミンゴ・ナバレッテによって第二次翻訳がなされたが,それが当時のヨーロッパ思想界に大きな影響を与えたことも分かってきた。
というのは,キリスト教の神のもとにおいてのみ,よき倫理道徳は存在しうるという当時のヨーロッパの常識を,この翻訳が打ち破ることになったからである。
つまり,神はいなくともよき倫理道徳は存在しうる,中国こそその実例である,と。
この衝撃は,フランスの啓蒙思想に波及し,理神論・無神論の発展をうながし,結局,ヨーロッパ近代成立の一つの思想的底流を形作ることになるのである。
・・・》
うーむ。日本の大学に朝鮮版のしかも現存最古の「明心宝鑑」があったとは。
これが西欧語に翻訳された初めての漢籍である、というのも面白い。
日本の領土になっていた(植民地支配の)時代に、旧帝国師範学校の教授かなんかがかっぱらって、いや、安く買いたたいてきたものででもあろうか。
文献の値打ちからいって、戦後購入したものとは思えないが、あるいは二束三文で国内の古本商から流れたか、はたまた誰かが寄贈したか、入手の経緯がわかると良いのだが。
他方、ハングルのページには
「デジタル韓国学」なるサイトに「明心宝鑑」のページがあった
(http://www.koreandb.net/koreandb_services.asp?URL=/Lecture/lecture/lec_m.htm)。
全部で15話に分けて、26編が読めるようになっている。
ちょと量が少ないようだ。
これで本編全部かな。
もう少しあるはずだ。
検索で出てきたネット上の書籍目録等のページから察すると、この書物は本の附録として付けられることもあったようなので、あるいはそれほど長いものではないのだろうか。
それとも異本・異体が多くてはっきりしないのか、よくわからない。
日本で漢籍というと訓読であるが、向こうもやはり書き下したようになっている。
しかし、和訓ほどこまかくない。
多くは節、短くてせいぜい句のまとまりでハングルを補っている。
慣れるとこういうやり方の方がすっきりしているかもしれない。
韓国語訳や英語訳も完備しているようだが、面倒なので参照しなかった。

ハングルを取り除くと、下の漢字が残る。
益智書有四・之譽
一曰婦・ 二曰婦容 三曰婦言 四曰婦工也
婦・者 必才名絶異 婦容者 必顔色美麗
婦言者 心辯口利詞 婦工者 必技巧過人也
其婦・者 ・貞廉節 守分齋
行止有恥 動靜有法 此爲婦・也
婦容者 洗浣塵垢 衣服鮮潔
沐浴及時 一身無穢 此爲婦容也
婦言者 擇師而説 不談非禮
時然後言 人不厭其言 此爲婦言也
婦工者 專勤紡積 勿好暈酒
供具甘旨 以奉賓客 此爲婦工也
此四・者 是婦人之所不可缺者
爲之甚易 務之在正
依此而行 是爲婦節
太公曰 婦人之□ 語必細 (□=[サンズイ]に[豊])
賢婦令夫貴 惡婦令夫賤
家有賢妻 夫不遭・禍
腎婦和六親 佞婦破六親
うーむ。賢婦・賢妻の誉れというか、いやしくも女子たるもの須くこうあるべしという強い論調である。
しかも文章が平易で優れている。
いわゆる「良妻賢母」のタネ本であろうか。
この書物、成立は明の時代だそうで、封建的な道徳、儒教思想が横溢している。
婦徳・婦容・婦言・婦工という四つの徳がバランス良く備わった女性こそが賢婦・賢妻の資格を持つ、というわけだ。
主人公のガッツと愚直な努力(精進)が魅力の「大長今」で追究されている理想の女性像は、まさにこういった古典的な賢婦なのだ。
「賢婦令夫貴 惡婦令夫賤」はともかくとして、「家有賢妻 夫不遭・禍」などと言われても多くの現代人には承服し難いであろう。
また、「六親(りくしん)」とは「父母兄弟妻子といった一家・一族」のことだ。
この六親の安泰が賢婦・賢妻の最終目標ということになる。
やはり作者(たち)は男(たち)に違いない。
「女は家庭の矩を超えず」というのは、その是非はおくとして、現代の韓国においてもまだまだ生き続けている考えだ。
しかし、固いことをいわずに「女のたしなみ」として読めば、悪くない内容だと思うのだが。
https://blogs.yahoo.co.jp/shakuen2001/9371641.html
↑↑↑
韓国ドラマって、まったく興味がなかったけど、こうして見るとおもしろそうだ

まあ、少女像を撤退してからの話だ。