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Channel: おばさん道一直線
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【知覧】特攻隊員1036人全員の遺影を集めた生存者、板津忠正さん

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特攻隊の生き残り隊員…
 
いっしょ過ごした仲間への思いが彼を突き動かしました。
 
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 - NAVER まとめ
 
実際に特攻隊員全員の足取りを追った人物がいた
 
 
出典www.itatsutadamasa.jp
 
板津さんは、陸軍特攻第213振武隊として出撃されましたが、途中エンジントラブルにより徳之島に不時着し、知覧へ戻られました。
 
出典:元陸軍特攻隊員で、知覧特攻平和会館の初代館長 板津忠正さん♪|satomiの毎日♪
 
 
やっとの思いで知覧基地へ戻ると、生きて帰った板津さんの姿にどの隊員も驚いた。いっしょに出撃した十一人はだれも帰ってこなかった。生きて帰ったことが板津さんの心に重くのしかかった。
 
出典:ノーモア戦争 九死に一生の特攻隊員
 
 
板津さんの熱心さにうたれ二回出撃命令が出たが、二回ともドシャプリの雨のため中止となった。南九州はすでに雨季に入り、ときたまスコールのような激しい雨が降るのだった。四回目の出撃は八月十五日と決まったが、終戦となり出撃することなく板津さんはまさに九死に一生を得たのだった。
 
出典:ノーモア戦争 九死に一生の特攻隊員
 
 
"仲間達は皆死んでしまったのに自分だけ生き残った事が堪えられない"と、苦しみ続け、 そして"自分が生き残ったのは何か自分にしかできない使命があるからだ。。。"と思い、ある行動に移されます!!
 
出典:元陸軍特攻隊員で、知覧特攻平和会館の初代館長 板津忠正さん♪|satomiの毎日♪
 
 
特攻隊員の遺族を回り始めた板津さん
死が当然であった特攻隊員が、生き残ったことの精神の呵責がどれほどのものか。これは体験した者でないとわからんでしょうね・・・・・・。あの時故障さえしなければ。やり切れない思いに、何度眠れぬ夜を過ごしたか。
 
出典:板津忠正さんにインタビューNO2
 
 
昭和48年頃から、特攻隊員遺族を回りはじめ多いときは3年間に10万kmも車で回ったという。
 
出典:++山根一男の徒然日記++
 
 
正直言って、最初は怖かった。「なんでおまえだけ生きて帰ってきたのか!」と責められるような気がしてね。ところが皆さん、「よく訪ねてきてくれた」と、わが子が帰ってきたかのように喜んでくれました。
 
出典:板津忠正さんにインタビューNO2
 
 
一言で遺族を回るというが、それは湿舌に尽くしがたい苦労の連続であったと思う。そもそも名簿なるものがないのだ。進駐軍らの追及を恐れ、多くの特攻隊員は出身地を隠していた。
 
出典:++山根一男の徒然日記++
 
 
五十四年、定年を待たずに市役所を辞めて遺族捜しに専念しました。
 
出典:板津忠正さんにインタビューNO2
 
 
遺影が揃うまでに50年かかった
 
出典:www.itatsutadamasa.jp
 
 
 
板津忠正氏と鳥浜トメさん
私の心の支えは、特攻おばさんのトメさんでした。挫けそうになると「あんたが生き残ったんは、特攻隊にことを語り残す使命があったからなんじゃないの」と励ましてくれました。
 
出典:板津忠正さんにインタビューNO2
 
 
なんとかそのトメさんが生きているうちに、全員の遺影を集めるぞ、と頑張りました。それがおばさんへの、知覧へのご恩返しと考えていたのです。
 
出典:板津忠正さんにインタビューNO2
 
 
http://matome.naver.jp/m/odai/2137655026109697901
 
 
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生き残った苦しみを背負いながら、彼は後世に伝える使命をまっとうします。
 
 
 

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